今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

やはり部活に入るべきです!

大事なことはすべて部活で教える

1年生が入学し、半月が過ぎようとしています。新入生の仮入部が始まっています。

どこに入ろう、あの子はどこに入るんだろう、自分に本当にできるだろうか、入部前からドキドキしますよね。

 部活の思い出・・・

 はじめての挫折

顧問に叱られたこと

悔し涙

友との語らい 

勝利の喜び

 

わたしは、中学生にとって、部活動というものがとても大切だと考えている人間です。できれば多くの子どもにスポーツをやって欲しいと思います。

 

なぜって?

 

当たり前と思うかもしれませんが、そこに大事な学びの場があるからです。

学校というのは社会を小さくしたモノです。けれど、本当の意味で社会を小さくしたモノは部活動の中にこそあると思っています。

  

人格形成において必要なことは理不尽を学ぶことです

極論ですが、わたしは部活動は「理不尽」を学ぶ場であると思います。

少子化で大人たちから大切にされ、なんでも思い通りに、わがままに育ってきた子どもたちが、初めて問答無用の世界に入るわけです。

 

当然、本人が納得できないような出来事やドラマも多々あるでしょう。

しかし、「うまくなりたい」「勝ちたい」の一心で、指導者、友や先輩、後輩といった異年齢の子どもたちや、他校の生徒たちと向き合う時間は何よりも彼らを「人間」として成長させてくれます。

 

昨今、体罰の問題で、スポーツの指導者に対して、厳しい視線が向けられています。

わたし自身もサッカーの指導者として、長年子どもたちと向き合ってきました。

 

昔取った杵柄、自分の引き出しに入っているわずかな経験だけで指導にあたっている者も現実にはいます。自分の専門知識の乏しさを隠すために、力に訴える指導者がいることも事実です。

 

しかし、そうした負の面を差し引いても、子どもたちが部活動を通して得られる経験にはかえられません。

 

公教育現場の多くの指導者は、平日だけでなく休日も返上し、部活の指導にあたっています。わずかな手当がでますが、基本的に無給です。本来の勤務とは違う活動だからです。

 

それでも多くの者が、この活動にのめり込み、日々、子どもたちと向き合っているのは、部活が子どもにとって、とても大切な成長の場だとわかっているからです。それを安易にやめればいい、などと発言する人がいることには憤りさえ覚えます。

 

わたしが所属するサッカー界では、「指導者が学ぶことをやめたら、それはもはや指導者ではない」という言葉があります。多くの指導者は本当にがんばっているのです。

 

「理不尽」を学ぶことに意味がある

世の中は「理不尽」なことだらけです。「理不尽」を知らずに社会に出て行くなんて考えただけでもゾッとします。やっていけるわけがない。

平等の大切さを感じるのも「理不尽」あってこそです。

 

さあ、部活に入りましょう。いや、やはり入るべきです。