今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

がんばって損しちゃったよ

見返りがなければ自分の努力は無駄になる?

 S:「ちぇっ、がんばって損した。」

 T:「損した?」

 S:「だって、こんなに頑張ったのに何ももらえないなんて意味ないじゃん。」

 T:「えっ、自分のために頑張ったんだろ、君は。」

  

今度のテストで○○点取ったら、欲しいもの買ってあげる。

これができるようになったら買ってあげる。

 

がんばった見返りとして「ごほうび」を与えることで子どものモチベーションを上げようというのです。子育てにおいてよく使われる常套手段です。

 

親の心理もわかります。「やりなさい」一辺倒ではやがて子どもは言うことを聞かなくなります。それが子どもにとって心理的に苦痛を伴うことであればなおさらです。そこで登場するのが、この手法というわけです。

 

ですが、ここにひとつ落とし穴があります。もうおわかりだと思いますが、これを繰り返すと報酬が得られそうもないことに対しては努力ができない子どもが育ちやすいことです。


できたか、できないかだけを認めすぎたために、結果を出すことのみに重点が置かれ、結果が出なければ、それまでの努力を無意味なもののようにとらえてしまうのです。

 

世の中もそうですが、どうも早い段階から結果を求めすぎるようにな気がします。

 

子どもが成長の中で、経験することにはすべて意味があります。同じ経験でも、それがどのような意味をもつのか価値づけてやる大人のかかわり方次第で、それがすばらしい経験になったり、つまらない経験になったりするのです。

 

結果だけではなく、その「過程」も認めてあげましょう

はじめは子どもが喜ぶからこちらもうれしいくらいの気持ちで始めたご褒美ですが、結果だけを認めてご褒美を与え続けていると、結果の善し悪しだけが価値をもつかのようになっていきます。それができたか、できないかだけが判断の基準になってしまいます。

 

オール・オア・ナッシング。それだけです。

 

はたしてそれだけでいいのでしょうか。あまりに寂しくはありませんか。

たとえうまくいかないことでも、そこまでの道のりの中には必ず自分なりの成長があるはずです。大人はそこを認めてあげたいものです。

 

結果も大事ですが、その過程を認めてやることの方が子どもの成長にとって本当に必要なことなのです。