今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

与えられることに慣れて育った子供たちは

与えられることに慣れて育った子供たちは
自分が欲しいものを意思表示しなくても
それが目の前に出てくると
思い込んでいます。
 
周りの大人が
「これがほしいんでしょ」
「本当はこれが好きなんだよね」
と、本人が何も意思表示しなくても
気にかけて、酌んでくれるから
うなずくか、首を横に振ることで
自分の欲しいものが手に入る。

ところがそうやっているうちに自分の将来を自分で決めなければならない時期になっても周りが、何かをくれるのを待っている人になってしまう。

全く無意識のうちに、十代後半という早い時期に自分の欲しいものを考える力すらなくしている人もいる。

それでも、周りの大人が「これは、お前にとって必要だろ」と声をかけてくれる。

いつのまにか意思表示をしない自分に誰かが、何かを与えてくれるのを待つようになる。そして、それが上手く行かなくなれば自分が欲しいものを手に入れられないのは与えてくれない人のせいだと思うようになる。 

どうしてもそばが食べたいのでおいしいそば屋に行くとする。そこで「ざるうどん」を注文して、オーダーミスではなく、こっちの思いを酌んでそばが出てくる確率はどれくらいあるだろうか。

 「お客さん、ざるうどんって言いましたど、本当はそばが食べたいんですよね。顔にそう書いてありますよ。はいどうぞ」なんて、そばを持ってくる店はないだろう。にもかかわらず受験や、仕事、人間関係、恋愛において同じようなことを期待していることはないだろうか。

受験生を見ていると同じことをしているように見える人がたくさんいることがわかります。

 「ざるそば」が食べたいならざるそばって言ったら笑われるかなぁとか、余計なことを考えずに「ざるそばください」って言わなきゃね。