今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

部活動では何を大切にすべきかを考えてみた

部活動の未来はどうなっていくのでしょう

今、部活動のあり方が問題になっています。

N県では近く「朝練をなくす」「部活動延長型の社会体育はなくす」という基本方針を打ち出すそうです。この件についてパブリックコメントを求めていくという新聞記事を目にしました。パブリックコメントは広く求めるものの原則はこの方向で進めるのだそうです。

その記事には「連日の練習で疲れが抜けず、学習に集中できないからなんとかして欲しい」 という子どもの言葉を保護者が当該の教育委員会に伝えたという内容や部活動は本来はその活動そのものが楽しめればいいといった意見も載せられていました。

過度の練習により、学習や生活習慣に影響が出ている。その背景には、勝利至上主義がはびこっていて、体罰が生まれるのも少なからずそうした勝敗にこだわる指導が原因になっている。ならば、いっそ活動そのものをできないように制限をかけていけばいい、という論法で導き出された決定だと思われます。

本当にそれでよいのでしょうか。

まさに形式だけのトップダウン。この決定を受けて喜ぶ人がどれだけいるか甚だ疑問ではありますが、現場の我々はこの決定が子どもにとってはどうなのか、ということを大局的な視点で考えなければ意味がありません。

 

部活動をやるのは大人ではなく子どもなんです

わたしはこの問題は本来、部活動そのものの意義が問われるべきなんだと思います。練習量がどうとか、勝利至上主義がどうとかの問題ではなく、何のために部活動を行うのかという根本の議論を聞かせてもらいたいものです。(わたし自身の考えは以前のブログ「やはり部活に入るべきです!」をご参照下さい

極論ですが、部活動そのものに意義がないのであれば、部活動そのものをやめたらいいんです。

そうではなく活動そのものの意義や価値を認めながらも活動自体に制限を加えるというのはどこか論点が違うのではないかと思います。

本来、好きでのめりこんでやっていることに対して、活動量が適度も行き過ぎもへったくれもないでしょう。そんなことに外から大人がブレーキをかけたらやっている当人たちはどんな思いがするのでしょう。

子どもにしてみれば、自分で選択して始めたことなのに、途中で横やりが入って、あなたが活動していいのはこの範囲だけよ、という制限が突如かかるわけです。このことが子どもの成長に与える影響は甚大です。(つまり、すべては大人の解釈次第で突然の変更もありということを体感するわけです)

 

部活動は子どもの成長のためにあるべきです

今回の決定の根拠のようになっている「朝食を食べない」「学習に集中できない」といったことは本当に部活動と直接関連しているのでしょうか。

わたしにはどうしても恣意的に活動を制限しようとしているとしか思えないのです。

今日も多くの指導者が、子どもたちの成長を願って、朝に夕にと頑張っています。

そもそも部活動への参加は任意のはず。その活動方針もそれぞれの学校に委ねられているはず。運用の問題はまさにそれぞれの学校現場で解決すべき問題であって、トップダウンで一元的に統制されるような問題ではないと思うのですがいかがでしょう。