タブレット導入で教師の仕事は楽になる?!
iPad導入で学校が変わる?!
そろそろタブレットの話をしようと思います。
iPadの導入が始まっている公立学校が出てきています。私の勤めている中学校にも、この夏に20台ほど配当されました。
iPad発売からまだ数年ですが、教育現場での導入による成果はめざましく、子どもたちの主体的な学びが世界各国で展開されています。
本校も1人1台にはほど遠いですが、まずは導入されたことをよしとしようと思っています。利用の仕方も、先進的な実践校と比較するとまだまだですが、何もなかった状態から考えれば一歩前進です。
iPadは学校における今までの学び方をすべて変えてしまう可能性さえもっています。実践校の記録映像などを目の当たりにすると、今までの学校教育とはいったいなんだったのかと思うほど衝撃的です。
なかでも「調べる・まとめる・発表する」ということをすべてこの1台でこなしてしまうので、共同(協働)追究やディスカッション、プレゼンなどは、最初からこれを使いこなしている子どもたちのスキルにはとても太刀打ちできません。
こうした姿を見るにつけても、早くiPadを使って目の前の子どもたちが主体的な学習ができるように取り組みたいと思うのですが、なかなか思うように進まない現状があります。
普及を阻むのは残念ながら教師・・・
意外だと思うかもしれませんが、新しいICT機器が導入された際に、一番の障害となるのは実は教師です。
それは、「そんなもの使わなくても出来る」という意識が働く教師が結構いるからです。与えられたモノというのは、非常にやっかいなモノで、初期のハードル(知識・使い方・活用法などの正しい知識)を越えないと、まったく使われないということが起こりかねないのです。
さらには、当初は何かの「代用」として使われることが多いため、それを超える使い方がなかなかできないということがあります。iPadはカメラにもビデオにもなるので、モニターに提示する装置として使ったり、記憶装置として使ったり、ネットサーフィンをしたりと、既存のハードやPCの代わりとして使うだけで終わってしまうのです。これは悪いというわけではありませんが、この段階を抜け出さなければ、そのポテンシャルを発揮することなく終わってしまいます。
iPadを導入しても教師の仕事は減りません!
もう一つの問題は、iPadを導入しさえすれば、子どもが主体的に学んでいくと思われている節があることです。導入事例を見れば、「子どもの学びが主体的になった」「子どもたちが目を輝かせて追究している」「自分から課題をもって取り組んでいる」などと、教育効果が高いことばかりが紹介されています。
しかし、その背景には教師のたゆまぬ努力があることを知らなければなりません。子どもたちが自分で学習を進めていくための軌道に乗るまでの準備は、目の前の子どもの事を一番よくわかっているはずの教師がするのです。学習するコンテンツは子どもたちに合わせて自分で創るのが一番いいに決まっています。
そういう意味で、iPadが導入されれば子どもが自らどんどん学んでいくので教師のやることが少なくなる、というのは大きな間違いで、ますます準備のため時間が増える(それも教師のICTスキル次第で)ということになります。
そこを克服できたときに、はじめて子どもたちは主体的で素敵な学びの姿を見せてくれるのです。
子どもが「深く楽しく」学ぶためにiPadを!!
メディアでも「どこそこの自治体がどれだけ導入した」ということばかりがニュースになっていますが、結局は、そこにいる教師の技能の範囲でしか活用されないということにはあまり触れられていません。教師が変わらなければ、結局何も変わらないのです。子どもが自由に使ってこそのiPadです。最初の壁を乗り越えさえすれば子どもの学びが今以上に深くなることは確かです。子どもが楽しく深く学ぶためには労を惜しまない教師であってほしいものです。