コーチングも大事ですが、ティーチングの大切さを忘れていませんか
生徒のヤル気がまるで感じられない
ジメジメした天候のせいなのか、はたまた部活による疲れがあるからなのか、ここ数日、なんとなく授業中の生徒の様子に元気がありません。上級生になるほどその傾向が感じられます。
もともと勉強が好きという子は稀で、多くの子どもはめんどくさい、退屈だ、という思いを持ちながら授業を受けています。
我々もなるべく楽しい授業になるようにと、準備や工夫をして臨むのですが、子どものやる気にダイレクトにつながるほどではないようです。
そういう子どもたちと向き合いながらわたしたちは日々の授業を行わなければなりません。おもしろい、おもしろくないに関わらず指導内容というものが存在し、やらなければ未履修問題が発生します。
残念なことに学年が進み、学習内容が難しくなってくれば、なってくるほど、がんばれない傾向は強まっていきます。
こういう子どもたちにどう接していけばいいのでしょうか。
まずは、ティーチングでしょ!
勉強が苦手な彼らにとっての唯一のモチベーションは「高校進学」です。
たたでさえ、学習に対してネガティブな印象をもっているのに、思うような進学が叶いそうもないと自覚してしまった子どものヤル気をもう一度高めるのは容易ではありません。
やる前からあきらめてしまっている感さえあります。居眠りを始めたり、ノートに落書きをしたり、友達としゃべったり・・・
昨今の「ティーチング」から「コーチング」へという流れの中で、学校では、学びの姿勢や規律について、強く指導しない傾向にあります。そうして、できないことや、やらないこともある意味、当人のやる気の問題として片付けがちです。
また、直近の体罰問題で、今後もますます遠慮がちに子どもたちに接することになるでしょう。
果たして、それでいいのでしょうか?
日本語に訳してしまえば、どちらも「教える」で片付けられてしまいますが、「ティーチング」とは答えを教えるであり、「コーチング」とは答えを引き出すことだと、わたしはとらえています。
教師の仕事はティーチング!
わたしは教師です。ティーチャーです。ダメなものをダメと伝えることが仕事です。
授業中、居眠りしている生徒に、
「今は何の時間か考えてごらん」
なんて言ってみても何の意味もありません。
「コーチング」もいいですが、「ティーチング」の大切さがこの世界において今一度見直されることを願っています。