ゴールラインはスタートライン
もう何度目だろう 「さあ、始めましょう」って
また、同じ場所に立って また同じこと言っちゃってるよ
やっと見つけた扉開いても いつもいつも「始まり」という場所でした
いつもゴールラインはスタートライン
「ゴールラインはスタートライン」おかん
どこまで自分と向き合えたか?
やり残したことはないか、妥協しなかったか。
それは選手も指導者も同じ。
なんのために戦うのか。
それはまだ見たことのない自分と出会うため。
ヌルい選手が浮いてめだつチーム。
試合を見ればよくわかる。
信用できるのはただ“ひたむきな努力”してきた選手のみ。
クソまじめに努力し、ただひたすらにやり続けてきた選手。
お前たち!たとえ今日負けたからといって、がっかりするな!
今は叶わなくても必ず報われるときがくる。
心配するな、見ている人はちゃんと見ている。
大して努力もしないうちに成果を手に入れてしまったチーム、その選手の10年後はたかがしれている。
やり続けてきた選手が浮いてしまうチームはこの先はなかなか大変だ。
だがもう一つ。
”真面目なふりした選手”だらけのチーム、これが最もいただけない。
そのうさん臭さ、問題はすべて覆い隠され、上っ面を装う。
大人はそれでやっているといい気になっているのが一番悲惨だ。
どこかの国の列車事故のように、問題が出たら、問題車両を埋めてしまい、つい先日まで写真に写っていた幹部が知らぬ間にいなくなり挿げ替えられる。
どの若者も指導者も、少なからず問題や力不足を抱えている。
大切なのは、
問題を明らかにえぐり、抱え、進みゆくチームであるかどうかだ。
現場で起こっていることが生々しくわからないできれいごとで覆いつくされるチームが最も悲惨だ。
そこには何か本質的視点が欠落している。
たとえば「厳しい競争」たとえば「一人一人の違った育成環境」
選手がみんなチームの事を考え、先頭に立つってことは、
メチャクチャ大変な戦いだってこと。
ゴールラインはスタートライン!
“今度こそ”の挑戦は続く。