今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

ゴールがあるから頑張れる!しかし同事にスタートでもある

春は必ずお別れです

S:「先生、わたしまだ卒業したくない!」

T:「じゃあ、留年だな。」

S:「それはイヤ! でもまだ卒業したくないんだよねぇ。」

3月に入り、卒業式を間近に控えた3年生たちの思いは複雑です。

うれしくもあり、寂しくもあり、楽しみでもあり、不安でもある・・・、といった感じでしょうか。

実は教師だって同じです。

生徒のちょっとした言動にもその子の成長を感じ、何度経験してもこの3月というのは、何かにつけて「じわぁっ」と込み上げてくるものがあります。

3年間なんて終わってみればあっという間ですが、毎日ともに暮らしていればそりゃいろいろあります。何事もないわけがありません。いいこともあれば、悪いことだってあります。

忘れられない出来事だって一つや二つじゃありません。でも、そんな一つ一つの出来事が、この時期になるとすべてがいとおしく思えるのは本当に不思議なものです。

そんな思いになるのも、やはり卒業式があるからです。その都度こんな思いをすることは他の仕事ではそうそうないだろうと考えると、これも教師ならではなんだと再認識させられます。

 

卒業式はゴール?!

成果といってもすぐに形になって見えにくいこの仕事のゴールっていったいどこにあるのでしょう。

進路先が決まったとき、教えたことが身についたとき、成人したとき・・・、子どもの成長を考えれば,節目としてさまざまなゴールが考えられます。

わたしは卒業式をどのような思いで迎えられるか、またこの時をどのような思いで迎えらたか、ということが教師にとってはゴールなのだと思います。

教師と生徒という関係性が変わるということは一生ありませんが、直接関わることができるのはこの日を境にほとんどなくなってしまうわけです。

やり残したことはないか、伝えきれていないことはないか、残された時間でできることはないか。

時間が過ぎるのをただ待っているわけにはいきません。今ここでしかできないことが必ずあるはずです。そうした「今」を大切にできない者は教師であって欲しくありません。

自分が教師として存在した証は、目の前の子どもの中にあります。わたしが教師でいられるのは子どもたちがわたしを「先生」と呼んでくれるからです。

ゴールの瞬間を迎えるためには、やり残しがあってはいけません。後悔が残るだけです。

銀河鉄道999のあの別れの場面がまさに卒業式なんだと思います。鉄郎の旅は終わってもメーテルの旅は再び始まります。教師にとっても卒業式はゴールでもあり、また新しいスタートでもあるのです。