今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

その子に“やる気スイッチ”はありません

「この子いくら言っても勉強しないんです。先生、どうしたらいいんでしょう?」

「この子の“やる気スイッチ”はどこにあるんでしょう?先生おしていだけませんか?」

 

母親たちからよく言われる言葉です。

はっきり言いましょう。

その子に“やる気スイッチ”はありません。

 

「あなたならきっとできる!」

「やればできるのよ!」

「あなたを信じてるわよ」

 

などと、どんなに励ましてみても、所詮それはわたし(親)が信じているようにあなたはできると言ってるだけで、子ども自身は自分ができるとはちっとも思ってはいないのです。

つまり、あなた(大人)がして欲しい(信じている?)ことだけを一方的に要求し、あなたが思うように動かない子どもに対して、日々・・・

「何度言ったらわかるの!」

「どうしてやらないの!」

「信じてたのに・・・」

と言うわけです。

 

自分の思いや感情が裏切られた、わたしの思いが伝わらない、この子は自分の言うことを聞かないダメな子 というメッセージを出し続けた結果が、今の目の前の子どもなのです。挙げ句の果てに、

「この子はいくら言ってもやらないんです」

などと本人を目の前にして、その姿を肯定してしまうのですから どうしようもありません(笑)。

子どもだと思ってメンタルを舐めてはいけません。やる気を育てるのは、周囲からの承認であり、その子を取り巻く環境です。

大人だっていちいちダメだダメだと言われ続けたら、会社に行くのも仕事をするのも嫌になってしまうでしょう。

 

最もダメなのは「できている・できていない」「もっている・もっていない」の観点だけで子どもに声がけをすることです。

もうおわかりだと思いますが、それをやると、子どもはみるみる やる気を失っていきます。「どうせ自分はやったって」という思いばかりを増幅させいきます。それでも、ふと思い立って自分から何かにチャレンジ(些細なことかもしれません)を始めても、「何やってんの!そんなことやっても無駄でしょ」などという心ない言葉によってせっかく膨らみかけたやる気は またもやプシューっとしぼんでしまいます。

 

大切なのことは、その子のスイッチのあるなしではなく、親や教師がいかにその子を認めてやるかというこちら側のかかわり方なのです。言い換えるなら、その子がやろうとしている今の姿をそのままの言葉で認めてやることなのです。

めあてや目標をもてないことに対して取り組むことはとても難しいことです。子どもだって同じです。ましてや自信の持てないことに自分から取り組むようになるためには「やればいいことがあるかも」と予感させるようなメンタルをつくるところから始めなければなりません。それを実現するための方法を試行錯誤を繰り返しながら試していく中で、やる気がやがて本気へと変わっていくのです。

 

 

夏休みが明ける前に読んでおきたい「初動」を成功させる話

夏休み明け、子どもたちは皆元気にスタートを切れたでしょうか?ここをうまく乗り越えられず不登校になってしまう子どももいます。経験からいっても子どもたちが不安定になりやすいのはやはりこの時期なのです。どう乗り越えたらいいのでしょう。

何事も始めるに当たっては、気合い・心意気が必要だ。
しかし、なかなか尻が上がらない子も多い。
特に現代は休日や連休が多くなって、リズムがすっかり休日モードになってしまい、その間、テレビやゲームなど「受動的」に過ごしてしまうことにより、ますますやる気が起きない子が増えたようだ。

何度も何度も「再スタート」を切らなければならないのが、

現代の子供たちだ。
だから、その何度もある「初め」にいかに気合いを入れ直させるかが、(厄介だが)重要なこととなっている。
特に夏休みなどの長期休みやゴールデンウィーク明けなどは、
特に初動教育が大切だ。

ここは「先取り思考」でいくのがよい。
長い休み明けなどは、どうしても多くの子どもたちが怠惰な気持ちをひきずりやすい。
(それは子どもに限らないが)そこで、「先取り」である。

放っておけば、マイナス思考に傾きやすいのも人間の脳の特徴だという。
黒板に大きく書く。
「あーぁ…」
「よーし!」
「さぁ、君たちは今朝、どっちで登校してきたかな?」
「『あーぁ…』楽しい夏休みも終わっちゃったな。
毎朝寝坊もできたし、テレビも自由に見られたのに……

あーぁ、また勉強か…」

「『よーし!』今日から二学期だ!
 夏休み、しっかり遊んだし、今日からがんばるぞ!よーし!!」

「さぁ、どっちかな?『よーし!』できた人、素晴らしいぞ。
徒競走で言えば、素晴らしいスタートが切れたね。
おめでとう。その調子でがんばっていこう!」
「『あーぁ…』で来てしまった子、よーい、ドン!で出発できなかった。
 こけちゃった? 残念!……でもね、明日からでも遅くない。
明日は『よーし!』で来るんだよ。
2学期はやりがいのある行事や学習がいっぱいだ。がんばっていこう!」

これだけで、子どもたちの弛みはかなり改善される。
できれば、前もって「始業式は「よーし!」で来るんだよ!
そう思えるよう、思いっきりやりたいこと夏休み中にやっておくんだよ」
とでも言っておけば、
さらに多くの子がよいスタートを切りやすくなる。
休み明けの弛みがちな心を制し、
初動を成功させるには、「先取り思考」が有効である。

また、この指導と合わせて、脳科学で証明されている、
「やる気」は「迎え撃つもの」でもあることを教える。
「やる気」はやることによって、
やっているうちに起こってくるもので、
それが出てくるまでじっと待つ、というのはナンセンスであるということだ。
「よーし!」と、始動してしまえば、
「やる気」が生まれる、
という逆もまた真である。
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『子どもたちが身を乗り出して聞く道徳の話』平光雄
第3章「ものごとにいかに取り組むか」

 「先取り思考」で、子どもたちにとって、いい2学期にしましょう。

心の中の心のコップの話

心にはコップがある。心のコップが上を向いている人は、周りの人の話や学んだ内容、自分に起きたよいことも悪いことも、水を注ぐがごとくに、そのコップにどんどんと注いでいく。コップが上を向いている人は、生き方や態度・考え方が素直で、前向きで、真剣。

反対に、心のコップが下を向いている人もいる。こういった人たちは、周りの人のせっかくのアドバイスも耳に入らない。 下を向いたコップに水を注いでもこぼれるのと同じで、自分に起きたよいことも悪いことも、吸収できない。いつも何かに対して不満を持っていて、考え方が後ろ向きで、やる気が持てない。

「心のコップが上向きか、下向きか」 この二種類の人間についての差は、「結果に対しての考え方」に表れる。 心のコップが下を向いている人は、結果に対して「どうせ自分には無理」と、自分の「能力不足」を嘆く。つまりは「他責の念」。

一方、心のコップが上を向いている人は、たとえ結果が自分の願った通りでなかったとしても、「自分がもっとこうすればよかったのだ」と、自分の「努力不足」を反省する。 つまり「自責の念」を持つということ。 「心のコップ」は、このようにその人の考え方や感じ方という、いわば生き方全般に影響を与えるもの。

下に向いたコップでは何も受け止める事はかなわない。 心のコップを上に向ける事が、成功の秘訣、あきらめない人生の心構えだ。 そして、子のコップを上に向けることこそが親の仕事だ。 そして彼らの心に灯をともしコップに水を注ぐ彼らとするのが指導者の仕事だ。

人は、未来の夢や理想、「何のために」という目的を描くからこそ、心のコップを上に向けることができる。 心のコップが下を向いている指導者・リーダー・教師が、目の前の選手・部下・生徒の心を上に向けることはできない。

やる気のない選手や生徒、というのがいる。やる気がないように見える。 運動も勉強も、友達関係も、別に何でもいい、という生徒。そういった生徒は、心のコップが完全に下を向いてしまっていて、過去のダメだった自分の姿にとらわれ、現在から未来の自分に対して、何の期待も希望も持っていない。 こういった生徒の心のコップを上に向けられるのは、心のコップが上を向いている指導者・教師だけ。 下を向いた心、後ろばかり見ている視線を、上に向けて前に向けてやるには、未来に連れて行ってあげることしかない。 なりたい自分、かなえたい夢、こうしたいというぼんやりとした思い、そういった、たとえ小さくても輝く「未来の希望の兆し」に気づかせ、そこから今の自分を見させ、心のコップを上に向けてあげること。 心のコップが上を向けば、やがては教えられなくても、自らがその希望の兆しに気づき、主体的で前向きな生き方ができるようになる。 未来から現在を見て、やるべきことに気付きイキイキと取り組む人生は素晴らしい。

 

人は二種類。

つまり「心のコップが上を向いているか、下を向いているか」ということ。

 

“第3回あこがれ先生inながの”が大盛況のうちに終わった。要はこの心のコップを上向きに出来る人こそが「教育者」なんだと思う。大好きな中村文昭さんも「心のコップ」の話をしてた。

自戒の意味を込めて、もう一度、井田勝通さん言葉を読み返す。

素人状態のときが、一番頑張れる

夏休みに入って、少し心に余裕が出てきた頃でしょうか?

1学期お疲れ様でした。本当に忙しい毎日でしたね。

どんな仕事にも繁忙期というのはあるのでしょうけれど、学期末というのは何年キャリアを積んだとしても、やはりなかなかのハードワークですね。

 

若い教師を見ていると、本当によく頑張っているなぁと思います。

経験年数に関係なく担任としてやらなければならないことはほぼ同じですし(質は違う気がするが)、自分にできるのはここまで、と、どこかで線引きをしなければ、ある意味、きりがない仕事だからです。

 

ただ見ていて、ちょっとうらやましく思うこともあります。

ある程度キャリアを積めば、仕事そのものはできるようになってくるけれども面白くなくなってくるものがあるのも事実です。そういうものと折り合いをつけなければ仕事そのものにやり甲斐を感じられなくなってしまうことさえもあります。

なんというか心にゴミみたいのものがついてくる。

純粋に、ただひらすらに取り組んでいたころがとても懐かしくなってくるのです。

なんとなくピュアじゃない。

そんなことを思いながら仕事をしていても楽しいはずがないのです。

 

素人状態のときが一番頑張れる、とわたしは思っています。

ものごとに取り組むに当たっては、新たな気持ちでやることが何よりも大事です。

だから、必然的に禊ぎみたいなものが必要になってくる。

夏休みというものはそういう気持ちを取り戻すためにとても大切な時間なのだと思います。

何のために」わたしは教師をしているのか。「何のために」教師になったのかを、もう一度自分自身に問わなければなりません。

幸いわたしは、今年、多くの仲間たちとともに“8.9あこがれ先生プロジェクトinながの”の運営に携わることになっています。

このイベントを通して、わたしの中にある「何のために」に、必ず火がともると今から確信しています。今からワクワクが止まりません。

第3回あこがれ先生プロジェクトinながの(伊那市) | Facebook

 

 

あこがれ先生プロジェクト

先生が元気を出さなきゃいかん

教員の不祥事や残念なニュースが後を絶ちません。

そんなニュースばかりが取りだたされて、信頼関係の上になりたっていたはずの教育活動が危うい状況です。

まっとうにやっている学校や教師までもが十把一絡げにくくられて、本当に日々頑張っているのに、なぜか自信を持てずに毎日を送っていると思うのは、私だけではないと思います。

こうした社会からの視線や様々な保護者の要求に応えようとするあまり、いつのまにか目の前の子どもに対しても、どこか言葉を飲み込みつつ接しているようでは本末転倒です。

先生に元気がなかったら、先生がキラキラしていなかったら、子どもたちが元気に夢や希望をもって学校生活が送れるはずがありません。

先生がもっと元気を出さなきゃダメなんです。

どこの学校にも、ものすごく教育熱心で生徒想いの、素敵な先生がたくさんいます。生徒と本気で向き合い、思いっきり叱り、生徒のために本気で泣いて共に大笑いのできる先生や、素晴らしい教育理念を持った学校は、たくさんあります。

そんな素敵な先生にスポットを当て、1人でも多くの方に知ってもらいたい、先生に元気になってもらいたいという想いから、2008 年、三重県に『あこがれ先生プロジェクト』が立ち上がりました。その後、静岡、福岡、熊本、群馬、愛知、埼玉、茨城、岐阜、山梨と、次々にプロジェクトが開催されました。

あこがれ先生プロジェクト

ここ長野県でも、一昨年第1回を長野市、昨年第2回を上田市と、2年続けて多くの方々の応援協力を得て、大きな感動のうち『あこがれ先生プロジェクト in ながの』が開催されました。

参加された先生方からは、「元気をもらった」「今すぐにでも実践できる内容だった」「初心に戻ることができた」「他校の先生と繋がることができた」など、たくさんの熱いメッセージをいただきました。

そうして今年は『第3回あこがれ先生プロジェクト in ながの』を、来たる8月9日(日)、会場を南信の伊那市に移し、長野県伊那文化会館小ホールにて(450 名収容)にて開催されます。

たくさんの先生がこの場に集い、たくさんの勇気やエネルギーを蓄えて、あしたの学校のために、あしたの子どもたちのために頑張って欲しいと思っています。

当日が待ち遠しいですね。

 

 

人を魅了する言葉を

指導者は人を魅了する言葉を持つべきだろう。

 「子どもたちが目を輝かせて耳を傾けるサッカー以外の言葉を持った指導者が足りない。それは日本サッカー協会のコーチライセンス講座では身につかない」(大倉智「フットボールの熱源」日本経済新聞 01.28)

氏は生き方に影響を及ぼすほどの言葉がないと、厚みと深みのある、たくましい選手は育てられないのでは、という。

バルセロナ(スペイン)の黄金期を築き、現在はバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)に革新をもたらしているペップ・グアルディオラ監督は芸術や音楽に造詣が深く、文化人と交流があることで知られている。ディートリッヒ・シュルツェ・マルメリンクによる『ペップの狂気』には選手時代から舞台や映画を鑑賞し、本を手放さなかったグアルディオラが描かれている。大学入学資格試験の論文のテーマには哲学者カントを選んだという。
その著書に、アルゼンチン代表を世界一に導いた名将セサル・メノッティの重みのある言葉が引用されている。
ヒポクラテスによれば、医学しか知らない者は、医学について何も知らないのと同じだ。そして、サッカーしか知らない者は、サッカーについて何もわかっていないのだよ。グアルディオラは教養を身につけており、サッカー以外のことをよくわかっている」

グアルディオラが大物選手を統率し、チームを変革できるのは、おそらく人を魅了する言葉を持ち合わせているからだろう。

確かなのは、サッカーだけを教えていても、そういう人間は育ってこないということだ。

中体連前の今だから考えること

中体連夏季大会が目前に迫ってきた。

この時期を迎えるたびに思うことは、

「負けをどう受け入れるか」ということ。

どんなチームにも必ず終わりが訪れる。

まだ年若い彼らがこの事実をどう受けとめ、またそこから何を学び、何につなげるのか。それこそ一生においてもとても大切な時間。

その瞬間をどのように迎えるのか。そのときに自分が選手に何を語れるか。

これまでのすべてを出しきって終われるかどうか。それがすべて。

何のために自分がサッカーの指導者をしているのかをもう一度考えるとき。

結論は、つねに原点に帰ること。

勝利はつねに選手のおかげ、敗因はつねに指導者の力不足。

本当にやり尽くしたか。まだやるべきことは何か。あと1週間。

始まってしまえば弱音を吐かず魂を込めて戦い続けるしかない。

どこまでいけるかわからないけど、やり続けるのみ。そのためにここまでずっと頑張ってきたんじゃないか。

「失敗を恐れるな」と言い続けてきたことがいよいよ試されるとき。

さあ、気合い入れていこう!

 

失敗しないことは、自慢になりません。
なにも失敗していないということは
なにもやっていないということだからです。
自分の立場を守ろうとしないで、
あれは完敗だったと潔く認めましよう。
どんな大きな失敗でも、
次に改めれば決して無駄にはなりません。

覚悟の磨き方 士・LEADERSHIP 075