「ギャル」が「ギャル」でいるのには理由があるのです
すでに多くの方が読まれていることでしょう。
学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話
- 作者: 坪田信貴
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2013/12/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (3件) を見る
「ギャル」と聞いて、みなさんはいったいどのような印象をお持ちですか?
ちょっと残念な努力をしている若い子たち、というのがわたしの印象。
「ギャル」と呼ばれる子たちの多くはあまり賢くない、というより賢くなりたいという潜在的な願望はあっても、そのためにする努力をどこか格好悪いものとして、あえてそこを避けている気さえします。
じゃあ、その子たちは本当に今のままの「ギャル」でいいのか?
そもそもなぜ「ギャル」でいるのか?
それを本人たちの問題あるいはその家庭の問題として片づけていいのか、ということをこの仕事をしていると常に考えさせられるわけです。
教師としてできることっていったいなんだろう、と自問してみます。
口ではどんなことを言おうと、子どもはやはり「勉強ができるようになりたい」という思いを必ずもっています。どこかでその思いを隠したり、あきらめたりしなければいけないような何かがその子に起こっているだけなんだと思います。
これは、その子ときちんと向き合い、その思いをとらえ、具体的なやり方を指し示しながら、寄り添ってやれば、必ずその子は自分から変わっていく、ということを実践した事例だと思います。
この本を読んで、「教師はこんなにもその子の人生にかかわることができるんだ」と本当にうれしくなりました。主人公(さやかちゃん)の成長過程や周囲の変化を自分の幸せとして感じることができました。
この本を手にした方の多くはハウツーものとして期待した部分が大きかった思います。たしかにハウツーものとして読むこともできますが、もし、そういう見方だけでこの本を読んだとしたら、おそらくこれは特殊な事例であり、これをもとに一般化をはかるには正直難しい例として片付けられてしまうのでは、と思います。
読む人の立場や経験さらにその人を取りまく今の環境によっても得られる示唆は違ってくると思います。
ちょっと手のかかる子ども(あるいは大人)と関わることにお疲れ気味の方におすすめです。(kindle版もあります)