今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

「先生、それは成績に関係あるんですか?」

授業の途中、ちょっとしたことがきっかけで話が本題からそれる。

子どもたちに乗せられて、ついつい脱線してしまうのはまぁよくあること・・・。

反応がいいので、こちらも調子に乗って話し続けていると、突然の一言。

 

「先生、それは成績に関係あるんですか?」

 

周囲も一瞬の沈黙・・・、ガヤガヤガヤ。

「どうした?」

「いいじゃん、べつに」

「テスト近いんだよ」

「また、間に合わないじゃん」

突然、口を開いた彼は、ここのところ成績がふるわず、連日、親からきつく言われているらしい。

「おぉ、悪かった。悪かった。じゃあ、授業を進めよう!」

「えぇ、おもしろかったのに・・・」

周囲のざわつきをおさめ、授業の内容に戻る。

 

こうやって授業の時間をつい無駄に費やしてしまうことがある。(「また」と言われてしまうのはわたしの不徳の致すところです・・・)

 

しかし、これはこれで生徒との関係を作るためには大事なことというか、必要悪とでもいえばいいのか、多少の脱線はかえってその日の学習内容を生徒に印象づけるような気もしていたが、昨今の学力低下の問題からすると、どうやらそれさえも許されない感じになってきたか。

 

若かりし頃(今でも若いつもりだが)に比べれば、ずいぶんと減ったが、ときどきこうやって生徒たちとくだらない話で盛り上がるのは実に楽しいもの。

 

生徒たちも、教師が、旬の(?)あるいは興味深い話題を投げかけてきて、そのことについて同じレベルで言葉のやりとりを楽しむのは退屈な授業を聞いているよりよっぽど楽しいことだと思う。

 

もちろん、本題としてやらなければいけないことはあるし、当然それをやるために授業をやるのだが、そこからちょっとだけ外れたところにも実は大切な学びがあって、それが人と人の関係をうまく作ってくれたりもする。

 

そういう日常があってこそ「教えるー教わる」「話すー聞く」「問うー答える」という最も大切な関係が自然と成立していくのだと思う。こうした相互関係なくして授業が成立するということは本来あり得なのだ。

 

教師と生徒の関係にもちょっとした余裕が欲しいもの。“あそび”とでも言えばよいだろうか。しかし、こうした“あそび”の感覚が減ってきているのは、ゆゆしきこと。

ギチギチに詰め込んで、無駄を省くことによって、そのことがが身につく、というほど容易な話ではないのだ。

 

わたしは、いまだにネタの仕込みにも余念がない。さぁ、次は何がきっかけで脱線してしまうのか。楽しみだ。