悪いのは子どもだけ?
できないことをできないと言うだけでは何も変わりません
「~ができない」
「~の力がない」
と生徒について語る教師ほど気をつけなければいけないことがあります。
なぜなら、その原因の多くが教師側にあるからです。
子どもにこんな力がないから、現状がこうだ、などと子どものせいにしてものを言うのは、天に向かって唾を吐いているようなものです。
たとえば、
- 何度言っても勉強しない
- うながしても発言をしない
- 注意をしても忘れ物が直らない
- 同じことを繰り返す
といった、教師にとって問題と感じる子どもの行為の背景にはいったい何があるのでしょうか。
ただ「~ができない」というだけなら、教師でなくてもできます。教師であるからには、そのことができるようになるための方策を様々な面から探っていかなければならないはずです。
そういったこともせずに、ただ、できないといった現象にだけ目を向け、その原因を子どもや他に求めていても何も変わりはしません。
子どものできないことを指摘する人にかぎって、その子が変わろうとするための働きかけを本気で行っているのか、と甚だ疑問に感じます。(もちろん、その子自身にも何らかの問題はあると思いますが・・・)
他人事から自分事ごとへ
もっとも重要なことは子どもが自ら変わろうとするための働きかけをすることだとわたしは考えています。
言い換えるなら、あなたが問題と感じていることは、その生徒にとって自分事(じぶんごと)になっているのか、ということです。子どもが(子どもに限りませんが)どこか他人事(ひとごと)でそのことをとらえているうちは、何を言っても何をやっても大きな変化は見られません。
自分事になるということを英文でいうなら、
「I(わたしが)+do(やる)」
という状態になっているということ、言わば、主語があるということです。英語で主語のない文とは、命令文です。「~しなさい」と言われ続けても自分事にはなかなかならないものです。その子に寄り添って、その動詞に主語(I)をつけてやることが教育だとわたしは思っています。
そもそも我々ができて当然と思っていることでさえ、実は中学生になって初めて言われた(聞いた)ということが依然として多々あるのです。逆に今その子ができていることは、わたし以前の誰かがその動詞に主語をつけてくれたのでできているということなのです。