「やればできる」と100回言っても子どもはできるようにはなりません
「やればできる」のか
「キミはやればできるのにもったいないなぁ」
ものごとをなかなか行動に移せない子どもに対して、励ます気持ちを込めて、我々、教師がよく口にする言葉です。 とくに学習面でつまづきがある子どもにはついつい言ってしまうものです。
しかし、わたしはこの言葉を言いながら、いつも自問してしまうのです。
「やればできる」には二つの言葉が入っています。そもそも「やれ」ば「できる」というのは本当に成り立っているのでしょうか。
「やればできる」を状態として言い換えるなら「やらないからできない」ということです。
この「やらないからできない」という事実を、わたしたちは、子どもを目の前にしたときに、きちんと伝えているでしょうか?
やらないでいる子どもに対して「キミはやればできるんだよ」と期待を込めていうことが問題なのではありません。
でも、「やらないから今のキミはこの程度なんだよ」と、ハッキリ言ったことがあるでしょうか。
わたしは、それを面と向かって本人に言うようにしています。
わたしはサッカーの指導もしています。スポーツではその場面が顕著に現れます。試合(本番)で技術を発揮していくらいいプレーをしたくても、そこまでの取り組みの甘さから思うようにプレーできないことがしょっちゅうあるからです。
その都度、今のその現象と日常の取り組みをつなげて考えさせるようにしてます。
そうすることによって、少しずつ変化が 現れるようになります。今までは決められたトレーニングメニューをただこなすように取り組んでいた者が、早朝、自主練を始めたり、改善のヒントになりそうなことを自分から求めていくようになったりもします。
断っておきますが、本人の性格や能力を否定しろということでは決してありません。
大事なことは「事実」を伝えること
大事なことは、事実として伝えることです。
伝えた事実から、子ども自身が何をすべきか考えさせることです。そうして、自らの責任においてこうなっているということを認識し、そこから自分の力で一歩目を踏み出させなければいけません。
中途半端な甘やかしは、事実を見えにくくします。事実が自分事として見えなければ、子どもは行動に移すことは難しいのです。
行動に移すことによって、やっと「できる」「できない」の段階に入っていきます。
この段階まできて、「できない」のであれば、教師の力量が足りないのか、子どものやり方が悪いのか、はたまた能力的な問題なのかがはっきりするわけです。
子どもの「ヤル気」に火をつけること。
そこをやらずして、「できる」「できない」なんて何百回言ってみても何も始まらないのです。