今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

もういい年なんだから

年長者がお酌に、若者は座りっぱなし・・・

何かにつけてよく飲み会があるこの業界。

新任職員を迎えての出発の会。PTA、同学年、同教科、教育会、同好会、行事の打ち上げ、学期納め、留別会・・・。

うーん、枚挙に暇がない。

まあ、飲み会というのは素が見えやすいというか、なんというか、その人がホントによくわかりますよね。

 

最近、その飲み会の様子が少し変わってきたなぁと思います。

 

さきほどから、校長や教頭が酒をもって回り、若い教師に酒をついでいます。若いといっても30台前半。そろそろ中堅と呼ばれる歳です。その若者はお酌を受けるだけで、お返し一つ満足にせず、ずっと自分の席に座っています。

 

以前にはあまり見たことない光景です。

 

教師が教師に教わる場

わたしが教師に成りたて頃は、この場でいろんなことを習った気がします。大切なことからどうでもいいことまで全部そこで習ったような気さえします。

 

決まりがあるようでないのがこの世界。あの先生にあって、自分にはないもの。どうしてあんな風にできるの。自分とは何が違うの。そんな日常の思いを面と向かって尋ねられる絶好のチャンスです。

なんとかして、あこがれの先輩の横に座って、話を聞きたい、ちょっとでも距離を縮めて親しくしたい、そんな気持ちを常にもってその場に臨んでいた気がします。

 

酒間でのたわいもない話から、ずいぶんと打ち解けて、子どもも大人も恐れる大先生の家にまで呼んでもらい飲むことだってありました。そこから家族ぐるみでのおつきあいが始まったりするだってありました。

 

社会人としては通用しないが、教師としては通用する?!

どうやら彼は、まだまだ大卒のペーペー、社会の仕組みも、それこそ社会人としての所作ひとつ満足にできないひよっこからスタートしたときのまま、ほとんど変わらず今日を迎えてしまったようです。

 

難関の採用試験を突破してきた方ですから、きっとまじめで賢い方だとは思います。でもね、それだけじゃ、この世界はやっていけないのよ。

 

就職直後からいきなり「先生」と呼ばれることの弊害でしょうか。教員の世界だけで通用するようなことが多すぎるようです。(通用してるわけではありませんが)

一人前として扱われるのが早すぎる気がします。

 

結局、彼はこの2時間、自分からは誰とも話をすることなく終えました。

 

目上の者が尊敬に値しないということもあるかもしれませんが、社会人として通用しないことは教師としてもやはり通用しないのです。そういう不遜な態度は必ず周囲からの信用をなくします。いや、不遜であることにさえ彼は気づいていないかも・・・。

 

しょうがない、ここはひとつ2次会にでも誘ってみるか。