今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

うちの子、ぜんぜん勉強しないんです。先生どうしたらいいんでしょう?

「先生、うちの子はどうやったら勉強ができるようになるんでしょう?いくら言ってもぜんぜん勉強しないんです、この子は・・・」

この質問を、今までにいったい何回、いや何十回(何百?)されたことでしょう。

今日もまた一人のお母さんから同じことを尋ねられました。

 

教師に面と向かって尋ねるかどうかの違いはあれど、子どもをもつ親は多かれ少なかれこういった気持ちをもっています。

わたしはこの言葉を聞く度に、ああ、またか・・・と、頭の中を同じ思いがぐるぐると回り始めます。

 

勉強ができるって、どういうことをいうのでしょうか?

 こうした親の心理は十分理解できますが、少なくともこのお母さんは、自分の子が勉強ができるように、あるいは今以上に勉強できるようになってほしいと本気で思っているとは思えません。

反論もあると思います。わたしがこんなにこの子のためを思ってやっているのに本気じゃないなんて・・・、といった類いのことです。

 

でも、ちょっと考えてみてください。

この母親のいう「勉強」って何を指していると思いますか?

 

そうなんです。ここでいう「勉強」の中身は何一つわかりません。そもそもこのときに尋ねられている「勉強」っていったいなんなのでしょう。

 

テストの点数ですか?学習する時間ですか?

それとも、もしかして、あなたの指示に従わないということですか?

 

継続はチカラなり

じつはわたしは、ほぼ週2回のペースで筋トレを続けています。ジムに通っています。

我流でやっても効果は薄いだろうと思い、一念発起して入門しました。

すでに9年が経とうとしています。自分の体重の半分の重さを持ちあげることさえもままならない状態からのスタートでしたが、今では倍以上の負荷にも耐えられるようになっています。

また、今でも自分の成長を感じていますし、まだまだ伸びるという確信があります。

 

勉強」とは、「勉(ツト)めて強(シ)いる」こと。楽しさというより、我慢を強要し、やる姿勢をつくるために用いる言葉です。それに対して、「学習」とは、「学んだことを習う」つまり、学んだこと(=教え)を繰り返し復習して自分のものにする(=習う)ことを指します。

わたしは、この「習(う)」という漢字の成り立ちを知ったとき、ちょっと感動したの今でも覚えています。

「羽と白」でできているこの字(「習」)は、鷲(わし)の雛(ひな)が、何度も何度も繰り返し自分の羽をバタバタさせて(裏側のやわらかい白い羽毛を見せながら)飛べるようになる姿を表しているのだそうです。飛べるようになるまでというのが実にいいですよね。

 

もちろん我々はプロですから、「どうやったら・・・」と尋ねられれば、ある程度のノウハウやコツを伝えることはできます。しかし、その根底にある、「続ける」ということは、その子のここまでの成長の過程つまり家庭における「人となり」によるところが非常に大きいのです。

 

その子が「続けられない」原因を探ってみましょう

「勉強」と「学習」の両面からその子の「やる気」を支えていかなければ何をやっても同じです。付け焼き刃という言葉がありますが、一過性のやり方ではその子に大きな変容は期待できません。

効率を求め、その答えややり方を求めても、結局答えはいつも同じところに戻ってきます。

そうです。答えは「継続」です。できるようになるためにはそれしかありません。

 

しかし、その子は「できない」のか、それとも「やらない」のか。

その要因はどこにあるのか。その子自身にあるのか、環境にあるのか。

それは人それぞれです。

 

その子が「続けられない」ことの原因や、その子ならではのやり方を探っていく必要があります。