今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

国語が苦手というよりむしろテストで正答にならないということの方が問題なのです

中学校はそろそろ期末テストですね。国語が苦手な子どもはたくさんいることでしょう。苦手という子の多くはテストで点がとれないことを理由に苦手といっているだけですが、本人たちにとって、それはそれで死活問題ですので、それにはどのようにすればいいのかを国語教師としてお答えしましょう。

 

その1「問題作成者」の立場で考える

問題作成者の立場で考えるのは、かなり難しいです。いくつも問題を作っている人であれば、確かに問題作成者の意図がわかる場合もあるでしょう。作成者の視点に立ち、「なぜその問題を作ったのか?」「まちがえさせるためにどこで引っかけているか?」などがわかれば、正答率は飛躍的に高くなると思います。しかし、問題を作ったことがなければ、あるいはよほど問題を解き慣れている人でなければ、問題作成者の立場にはなれません。少なくとも、国語が苦手な子には無理な注文だと思います。

 

その2「作者の立場」で考える

作者の立場になるのはどうでしょうか? 作者は何か伝えたいことがあるのですが、それを短い言葉にまとめられないために物語を紡ぐのでしょう。もしひと言、ふた言で言い表せるのであれば、物語を書く必要はありません。また、作者に明確な意図があって物語を書いたとしても、読者の受け取り方はさまざまです。思想や考え方は、送り手の思うようには受け取ってもらえないのが世の常なのです。作者はそれをわかっていますから、作品によっては、いかようにも受け取れるような書き方で物語を終わらせる場合もあります。「受け取り方はさまざまですよ、さあ、自由に感じてください」という作品も多くあるのです。物語とは、作者のものであると同時に、読者のものでもあるのです。このように考えれば、作者の立場で考えるのも無理があるといえます。

 

その3 「登場人物」の気持ちになる

登場人物の気持ちになるというのも難しいでしょう。作品中の登場人物の今までの経験を追体験したり、その時の雰囲気を登場人物と共に味わったりすることは厳密な意味ではできません。いくらその人物に感情移入しても、それはその人物を通しての読者の気持ちのはずです。ですから、複数の読者がいれば、違った気持ちが出る可能性があるでしょう。
そもそも、文化、習慣あるいは時代が違う登場人物の気持ちなることが無理なことは、想像しただけでわかります。以前、ネズミが主人公の物語を読んでいた子どもに、登場人物の気持ちになって考えなさいと言ったら、「ネズミの気持ちになんかになれない!」と言われてしまったという方がいました。確かに、その子の言うとおりだと思います。

 

結論 自分の考えで解答を考えてかまわない

それでは、どのようにして登場人物の気持ちを理解すればよいのでしょう。試験問題で心情を問われた場合は、結局は、自分の考えで解答を考えるしかないのです。ただし条件があります。それは、なんらかの材料に基づいて考えるということです。材料とは、本文中に書かれている事柄で、それらを細かくチェックして、だから登場人物はこういう気持ちであろうと想像するのです。この時、チェックが甘いと適切な気持ちを想像できなくなります。
たとえば、その登場人物が泣いていることだけをとらえて、「悲しんでいる」というのではダメでしょう。涙は、「うれしい」というプラスの感情の時にも出ます。また、マイナスの感情にも、「悲しい」「悔しい」「寂しい」などさまざまなものがあります。さらに、「悔しい」けれど「うれしい」という複雑な感情もあり得るでしょう。このようなところまで、しかも本文にある表現を根拠に推測していくことが必要なのです。さらに、出てきた推測は、他の人に「なぜ」なのかを説明してなるほどと納得させるものでなくてはだめです。

これが、客観的な文章のとらえ方になります。他の人を納得させることができないとらえ方では、正解になることは難しいでしょう。つまり、必要なことは本文の内容を根拠に、他の人も納得させられるような解答を自分で考えるということなのです。