ソレは「できるだけ」やればいいの?
できるだけがんばります。
できるだけ努力します。
同じ過ちを繰り返したり、改善を促したりした生徒に、今後はどのようにするつもりかと尋ねると、最近、決まって返ってくる言葉です。
「できるだけやる」って、彼らはいったいどれだけのことをやるつもりでいるのでしょう。
いつから子どもがこんな言葉を使うようになってしまったのかは定かではありませんが、少なくともわたしは子どもの頃に、このような言葉を使った記憶はありません。
やってなかったり、できていなかったりして叱られたときには、
「すぐやります!」
「明日までに必ずやってきます!」
といった返答をしていたと思います。(たぶん・・・断言まではできませんが)
身近な大人が使っているのを聞いたのかもしれませんし、控えめに言おうとしているのかもしれませんが、こういった表現は決してほめられたものではありません。
こういう言葉を日常的に使うようになってしまった子どもたちは、この後、どのように社会に適応していくのでしょう。ちょっと恐ろしくもあります。
「できるだけ」という言葉には、一番肝心なことが抜け落ちてしまっています。
つまり、できていないことは何なのか、ということの見極めがまるで出来ていないということです。
今、問題となっていることが達成されているのか否かに関わらず、「自分ができる程度のことをやります」と言っているわけですから、いったい何をか況んやです。
「できるだけじゃなくて、できたものを持ってきてくれ!」
とわたしに言い返され、生徒はキョトンとしています。仕方がないので、
「いいか、『できるだけ』というのはだな・・・」
と言葉の説明からしなければならないのが現状なのです。