今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

話を聞かない?! 子どもたち

 T:「こんなこともできないのっ」

 S:「・・・・・」

 T:「理由を言いなさい、理由を」

 S:「昨日は部活が・・・」

 T:「やりなさいって言ったでしょ」

 S:「よく聞いてなくて・・・」

あちゃー、また怒ってるよ。今週2度目だよもう、まったく・・・。

今回の舞台は職員室です。

 

先ほどからAくんは担任の先生に叱られています。聞こえてくるやりとりに耳を澄ますと、どうやら彼は昨日、先生から言われたことをやらずに帰ってしまったみたいです。

 「話を聞いていないあなたがいけないんでしょ。できなくて困るのはあなたよ」

 「いつも言ってるでしょ。すぐにやりなさいって」

 「ふざけてるのか、おまえっ!」

 

たしかにAくんは、私から見てもちょっと不注意なところがありますが、決してふざけているわけではありません。どちらかというとまだ幼さが残るかわいらしい中学生です。どうも彼の担任は彼のちょっとだらしないところや自分の指示通りに動かないことが気になってしょうがないようです。

 

正しいことを言えば、子どもは大人の言うことをきくのか

教師は、いや大人は、子どもが大人の言うことを聞くのは当然だ、ましてやそれが一般常識であればなおさらだ、と信じています。不思議なもので、子どもとかかわる時間が長くなればなるほどそれがあたり前だ、と思うようになっていきます。わたしがあなたのためにこんなに言っているのにできないあなたはなんなの、ちょっとおかしいんじゃない、くらいの前提を自分の中に作り上げていきます。

 

はたして、その前提は本当に成り立っているのでしょうか。

 

わたしはこの中にいくつか疑問を感じてしまうのです。そもそも、できなくて困っているのはAくんでしょ。先生だって自分でそう言っています。なのになぜ先生が怒っているのでしょう。彼ができないのは自分の指導力不足だと思っているのでしょうか。

いつの間にか困っているのは教師自身、つまり自分の問題にすり替わっています。当のAくんは怒られていることについては困っていると思いますが、肝心のやらなければいけなかったことができていないことについて困っている様子は先ほどから見られません。このズレはどこから生まれるのでしょう。

 

わたしは「これをやりなさい」と言った後、それを「やるようになる」までの「間」の部分に教育のいちばん大切なことがあると思っています。

一度言えば、すぐにできる子どももいれば、言うだけではできない子だっています。ましてや、あなたの正しいと思うことを、子どもがそのまま正しいと考えると思っている前提そのものがおかしいということに気づかなければ、いつまでたってもその子との信頼関係などできあがりません。

その子なりのやり方やできるようになりたいという気持ちを大切にかかわってやればたとえ時間がかかっても子どもは必ずできるようになります。

現にAくんはわたしの国語教室の中では、活発に発言もしますし、提出ノートだってちゃんと出しています。

わたしは、彼とのかかわりの中で、彼が勉強に夢中になれる魔法を見つけました。

実は彼は将来、先生になりたいと願っています。彼の今の生活の様子からは誰もそれを信じないでしょう、でもわたしは知っています。彼が本気だということを。わたしはその気持ちをコチョコチョとくすぐるようなかかわりをするだけです。

 

そもそも問題がすり替わっています  

子どもの問題だったはずが、いつの間にか自分の問題にすり替わっていると言いましたが、わたしはまさにここが問題だと思います。

自分がやれと言ったのにできない、ましてや何度も言ってるのにできないということになると、まるでできないのが自分であるかのように思い始め、いつしか困っているのが自分になってしまうのです。そのせいで感情的になって一方的に訴えかけても子どもは耳を塞ぐだけです。

そんな風にしなくても、子どもは自分がそれをやらなければいけないことはとっくに気づいていますし、まずいなとも思っています。

その気持ちを引き出すようにかかわらなければいつまでたってもその問題が彼自身の問題になりません。その先生にも早くそのことに気づいて欲しいと思っています。

 

それに、そこで怒ってる先生、あなただって何度わたしが言ったって締め切り日ちっとも守ってくれないじゃないですか。

そっか、それはわたしの前提がおかしいのか。