子どもに「あいさつしなさい」と言う前に
目指すのは「厚み」のある人になること
そのことなしにただ「あいさつしなさい」と言えば、
「心にもないこと言え」ということになる。
「利害のかかわる場面ではいいこと言っとけ。関係の薄い奴にはシカトしとけばいいんだ」となってないですか。
親は子どもに真実を教えなくてはならない。
親は子どもに人の道を見せなければならない。
人は必ず善いところと悪いところを併せもっている。
だから
親は自慢しないほうがいい。
親は他人を非難しないほうがいい。
親は自分の悪いところを子の前で反省して見せるべきだ。
親は他人の良いところを大いに褒める人であり続けるべきだ。
子は親を完璧などと思っていない。
自分がそうであるように。
親が自分を立派であると主張すればするほど、
それは偽善であると思うものだ。
親が他人をなじるだけなところを見ると、
それはわが身も振り返れない残念な人と思うものだ。
だから
試合中にチームメートがファールをして、
「あやまっとけ」と不遜な言葉が出るんだ。
そう言ってしまう選手が悪いんじゃない。
薄っぺらい行為を押し付けることがダメなんだ。
大切なのは
悪いと思わないときは「あやまらなくてもいいのだ」
と教えるべきだ。
あやまるということは、
ただ純粋に相手のことを心配できる心持ちを持った時に
「ごめん」と発言すればいいのだと大切な真実を理解することだ。
大人が建前の善と正義、己の正しさ、他人の悪「だけ」を取り上げることは、
人生に芯のない薄っぺらな思考の彼らになれと言っていると同様です。
それは「教師」だって全く同じこと。