今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

「ゆとり」が悪いわけではありません

ゆとり世代 ばかにしないで」

先日、学校の先生に「こんなのも分からないのか」と怒鳴られた。それは、私たち、ゆとり世代が習ってこなかったものだった。

ゆとり世代は、なりたくてなったものではない。なのに、「こんなのも分からないのか」とばかにするのは間違っていると思う。ましてや、先生方は私たちに勉強を教えている側なのに、ゆとり世代だからといって、怒鳴るのは先生としてどうだろう。

先生だけでなく、ほかの社会人の人たちにも言えることだ。ゆとり世代は、ほかの世代に比べて宿題が少なく、家で勉強をする習慣があまりない。習った勉強がほかの世代よりも少ないうえ、その勉強を復習する時間も少ないとなると、ほかの世代ととても大きな差がつくことになる。

ゆとり世代になりたくてなったのではない。だからばかにするのはよくない。ただ、ゆとり世代はほかの世代より学んでいる量が少ないので、人一倍学ぶ必要はあると思っている。   17 高校生(札幌市西区) 

 

「ゆとり」と「詰め込み」

どちらがいいのか、なんて議論はもはやナンセンスだと思います。

「知識が足りない」ことと「学び方を知らない」ことはやはり違います。

前者は個人の資質に起因するところが多く、後者は環境によるところが大きい。

現場は、数値化できる学力の善し悪しにオロオロしすぎです。

わたしたちは、子どもに何を伝え、何を身につけさせるべきなのでしょうか。

ときの政権の施策によって現場が右往左往していてはダメだと思います。

学校は「教える―教わる」だけでは、もはや成り立たっていません。

共に悩み、共に語り合う中で課題を解決したという「学び」の過程を経験する場にしていかなければなりません。

必要な知識が足りなければ、そのとき、そこから学べばいいのです。

「ゆとり」がある分だけ学べばいい、というだけのことです。