今からココから子どもから

一教師の日常をこそっと語りたく・・・

コツコツが勝つコツ

勉強にしても
習い事にしても
受験にしても
技能の習得にしても

一番大切なことは
毎日継続する習慣を身につけることです。最初は短い時間でもいいので
とにかく、毎日やる。その習慣ができれば
「長時間」というのは自然とできるようになります。やったりやらなかったりするのが知識や技能の向上では一番やってはならないこと。
 
というわけで
今日も寝る前に
ほんのちょっとだけ
頑張ってみませんか?
 

与えられることに慣れて育った子供たちは

与えられることに慣れて育った子供たちは
自分が欲しいものを意思表示しなくても
それが目の前に出てくると
思い込んでいます。
 
周りの大人が
「これがほしいんでしょ」
「本当はこれが好きなんだよね」
と、本人が何も意思表示しなくても
気にかけて、酌んでくれるから
うなずくか、首を横に振ることで
自分の欲しいものが手に入る。

ところがそうやっているうちに自分の将来を自分で決めなければならない時期になっても周りが、何かをくれるのを待っている人になってしまう。

全く無意識のうちに、十代後半という早い時期に自分の欲しいものを考える力すらなくしている人もいる。

それでも、周りの大人が「これは、お前にとって必要だろ」と声をかけてくれる。

いつのまにか意思表示をしない自分に誰かが、何かを与えてくれるのを待つようになる。そして、それが上手く行かなくなれば自分が欲しいものを手に入れられないのは与えてくれない人のせいだと思うようになる。 

どうしてもそばが食べたいのでおいしいそば屋に行くとする。そこで「ざるうどん」を注文して、オーダーミスではなく、こっちの思いを酌んでそばが出てくる確率はどれくらいあるだろうか。

 「お客さん、ざるうどんって言いましたど、本当はそばが食べたいんですよね。顔にそう書いてありますよ。はいどうぞ」なんて、そばを持ってくる店はないだろう。にもかかわらず受験や、仕事、人間関係、恋愛において同じようなことを期待していることはないだろうか。

受験生を見ていると同じことをしているように見える人がたくさんいることがわかります。

 「ざるそば」が食べたいならざるそばって言ったら笑われるかなぁとか、余計なことを考えずに「ざるそばください」って言わなきゃね。

あるバッタのお話

「あるバッタのお話」 作者不明

ある町に一匹のバッタがいました。

名前を「いき当たりバッタリ」と言いました。

毎日、そのバッタは気ままに生きていました。

ある日、気がつくと、体中にシミが出ていました。

お医者様は、「苦シミ」と「悲シミ」のシミだと言いました。

そして「果物を食べなさい」と言われました。

そこでバッタは柿を食べました。

しかし治りません。

お医者様は、「あなたの食べた柿の名前が悪い」と言われました。

それは、「もガキ」と「あガキ」という柿だというのです。

もうバッタリいかんということで、

「それではどうすれば良いか」と尋ねると、

「この裏山の崖(がけ)を登りなさい」と言われました。

その崖の名前は「命崖(いのちがけ)」と言います。

苦労して、やっとの思いで登り切ると、そこからは素晴らしい景色が見えて、気持ちが爽やかになりまた。

すると、不思議に、その時から体のシミが、すーと消えました。

そのバッタの名前は、「ガンバッタ」という名前に変わりました。

ゴールラインはスタートライン

もう何度目だろう 「さあ、始めましょう」って

また、同じ場所に立って また同じこと言っちゃってるよ

やっと見つけた扉開いても いつもいつも「始まり」という場所でした

いつもゴールラインはスタートライン

  「ゴールラインはスタートライン」おかん

どこまで自分と向き合えたか?
やり残したことはないか、妥協しなかったか。

それは選手も指導者も同じ。
なんのために戦うのか。
それはまだ見たことのない自分と出会うため。

ヌルい選手が浮いてめだつチーム。
試合を見ればよくわかる。
信用できるのはただ“ひたむきな努力”してきた選手のみ。
クソまじめに努力し、ただひたすらにやり続けてきた選手。

お前たち!たとえ今日負けたからといって、がっかりするな!
今は叶わなくても必ず報われるときがくる。
心配するな、見ている人はちゃんと見ている。

大して努力もしないうちに成果を手に入れてしまったチーム、その選手の10年後はたかがしれている。

やり続けてきた選手が浮いてしまうチームはこの先はなかなか大変だ。

だがもう一つ。
”真面目なふりした選手”だらけのチーム、これが最もいただけない。
そのうさん臭さ、問題はすべて覆い隠され、上っ面を装う。
大人はそれでやっているといい気になっているのが一番悲惨だ。
どこかの国の列車事故のように、問題が出たら、問題車両を埋めてしまい、つい先日まで写真に写っていた幹部が知らぬ間にいなくなり挿げ替えられる。

 

どの若者も指導者も、少なからず問題や力不足を抱えている。
大切なのは、
問題を明らかにえぐり、抱え、進みゆくチームであるかどうかだ。
現場で起こっていることが生々しくわからないできれいごとで覆いつくされるチームが最も悲惨だ。
そこには何か本質的視点が欠落している。
たとえば「厳しい競争」たとえば「一人一人の違った育成環境」
選手がみんなチームの事を考え、先頭に立つってことは、
メチャクチャ大変な戦いだってこと。

ゴールラインはスタートライン!
“今度こそ”の挑戦は続く。


やればできるは本当!?

自分にとって何か困難と思える物事に取り組むとき、

どんなことが頭に浮かぶでしょうか。

 

自分ならできる」か「自分にはできない」のどちらかでしょう。

その違いはいったいどこからくるのでしょう。

 

実はあなたの「」が関係しているのです。

ご存じの通り、あなたの「脳」は過去の経験をメモリーする力に優れています。

ですから、何か新たなことにチャレンジするときには、過去の記憶を瞬時に検索して、一瞬でイメージを浮かべその経験と照らし合わせて判断をしています。

自分にはできない」と思った人は、過去にうまくいかなかったときの経験やそのときの感情と照らし合わせて、今回もうまくいかないかもしれないというイメージを導いてしまうのです。

一方、「自分ならできる」とイメージした人はどうなのでしょうか。先ほどとは逆の体験をしているということがわかるでしょう。未知のものに取り組んだときにうまくいったとか、賞賛を得たとかそういうイメージが浮かび、やればできるという検索結果を脳が探り当ててきているだけなのです。

 

私たちの脳は自分がイメージしたことを寸分違わず実現しようとする力があります。

好む好まないは別として、たとえあなたがどんなに「違う」と言っても、今のあなたは、過去のあなたがなりたいと思ったような姿でそこに存在しているのです。

 

私たちが自分の生活や行動をよいものにしていくには、この「脳」の働きをきちんと知って、「脳」をだますことが大事です。

「どうせ無理」と思っている人。喜んでください。

なんと無理なことは一つもありませんでした。

やればできると思っている人。その通りです。

 「脳」をだますのは簡単です。

プラスの言葉をインプットし、アウトプットを続けると「脳」にはそれが経験として書き込まれていきます。

極端な言い方をすると「やればできる」と言い続けていれば、やればできるんだと脳は記憶するということです。

「どうせ無理」と思っている人は、いつまでもその記憶が書き変わらないのでいつまでたってもできない(やらない)というわけです。

 

複雑で優秀な機能をもつ「脳」ですが、実はこんな単純なことで思い込ませることができるのです。思い込みが人生を変えるのです。過去の記憶にとらわれている自分を感じたら「やればできる」と呪文のように唱えてみてください。きっとステキな結果がまっています。

 

 

 

感情をコントロールすれば人生が変わる!

「今日の先生なんだかおかしくない?」
「うん、確かにおかしい」
「やたらハイだよね」

子どもたちが囁いています。

本気の朝礼を終えたワタシはどうやら朝からハイテンション。

 

みなさん!

本気の朝礼をご存じですか?

 

わたしは子どものメンタルということにものすごく興味があります。

どうしたら子どもの潜在能力を顕在化させることができるのか?

これはわたしが一生をかけて追い求めている命題です。

 

潜在能力。

つまりそれは子どもの持つ可能性。その可能性を引き出すために我々教師は存在していると言っても過言ではありません。それをどのようにしたら引き出せるのか。

 

わたしはついにヒントをつかみました。

それは「感情」をコントロールすること。

「感情」をコントロールすることは決して難しいことではないということ。

 

そのカギは「脳」にあります。

「脳」をワクワクの状態にすれば、子どもは無限の可能性を発揮できるのです!

わたしは、そのために「本気の朝礼」を行うことを決めました。

私自身がこんなにワクワクしているのはこの仕事について以来、初めてです。

これはスイッチオン記念日と言うしかありません。

 

本気の朝礼がもつパワーはすでに高校球児や日本代表の女子ソフトボールチームでも実証されています。

これはなんら特別なことではないことを私自身が実践を通して実証しようと思います。

 

朝礼を日本中の学校に広げたい、子どもたちの無限の可能性を引き出したい、という てっぺんの大嶋啓介さんの思いに激しく共感します。

 

今日初めて、子どもたちと「朝礼」を行いました。子どもたちの輝く未来が本当に見えました。今日がすべてのスタートです。

よし、やってやるぞ!

ぜったいできる!

よっしゃー!

 

世間体で生きた人の結末はこんな感じ

どうでもいい話を一つ。

 

「起きなさい。学校へ行く時間よ!」

「お母さん。行きたくない」

「なぜ?理由を言いなさい!」

「生徒や先生達は僕のこと 嫌ってるんだよ!」

「そんなの理由になってないわ。早く起きて支度しなさい」

「それじゃ僕が学校に行かなきゃならない理由を言ってよ!」

「まず、あなたは校長先生でしょう!」

 

 お後がよろしいようで。